経歴

アメリカのカリフォルニア州生まれ育ちで、母国語は英語です。若い頃から言葉遊びと言葉遣いに興味があり、学校の先生に励まされて文学を勉強したり語句を積み重ねたり作文を書いたり、言葉に関して好きにさせてもらいました。

12歳から野球が好きになって、球場では苦労したのに対して、勉強の場では野球の本や雑誌を読みまくりました。一方、野茂英雄というトルネードがMLBを席巻していたのを気づきました。

高校を卒業して、大学で外国語の科目を選択するところでは、ちょうどその頃にイチローという、メジャーで初めての日本人野手が現れてきました。MLB関係者を目指していた私は、いつかイチロー選手や他の日本人選手に会うとしたら挨拶ぐらいは知っておくべきではないかという軽い気持ちで日本語入門に入ることにしました。

大学の毎日はスポーツ報道と日本語勉強。ラジオ部では野球・バレーボールの実況放送と解説、新聞部では記事やコラム、現地のラジオ局でも夏季野球リーグの生放送をしながら、地元のカリフォルニア州から日本語の字の書き練習や私にとって別世界の文化の勉強が快適にできました。スポーツ報道と日本語の勉強はいつまでも平行線のままであろうか、日本語がとにかく楽しいので続こうかと思いました。

卒業後、ホノルルや福島、イチロー選手のマリナーズの本拠地・シアトル(イナターンとして球団の事務所に入った)に住んでみましたが、その後ついにスポーツと日本語の積み重ねた経験を駆使するような仕事が獲得できました。日本担当スカウトとしてシカゴカブス球団に雇われました。四国の高知に引っ越して日本全国を回って情報を収集してプロ・社会人・アマチュア野球選手を評価しました。オフは高知のことに飛び込んで、友達ができてサイクリングも始まって田舎のスローペースを楽しみました。野球場でも電車内や美しい山道・川辺・浜辺でも、本気で日本語と日本のことを勉強しました。

それから数年後、友達に東京に行われる翻訳者協会の会議に誘われました。それまでの英訳の経験は体験レベルだけで、知らない世界を覗いてみようと思って会議に行きました。そこで集まったプロの翻訳者たちの姿を見て感動しました。私も一人前の翻訳者になりたくなって、その道の第一歩を踏み出しました。半年後の2009年5月に翻訳会社3社から一気に小さな英訳案件を依頼されて、そこで仕事が始まりました。三ヶ月後、日英翻訳を本業にすることにして本格的に翻訳者の生活を始まりました。

それ以来、翻訳会社、メディア企業、MLB球団など、様々なお客様から幅広い内容の英訳の依頼を頂いています。2010年から2012年の間にプロ野球選手もプロゴルフ選手の通訳の案件もあり、東日本大震災の復旧・復興の取り組みに翻訳と通訳を提供できました。2013年から2015年まで翻訳会社のプロジェクトマネージメントもして、世界最大の動画配信サービスの日本進出に当たっての大量のコンテンツのあらすじの英訳をするためにエンタメ専用の英訳者チームを組んで指導しました。その間ずっと日本翻訳者協会の同僚と意見交換をしたり助け合ったりして、本当に翻訳の恩恵に浴していただいています。

私の仕事は、日本人が言いたいことを日本語が読めないけど英語が読める人に伝えるのです。日本人と英語が読める人のコミュニケーションの橋として能力を発揮する一つ一つの機会を深く感謝しています。常に次の教訓を探しながら、この経験を基に簡潔でわかりやすい英訳を目指しています。

ここまで読んでくたさってありがとうございます。今後英訳にご協力する機会があれば、私は同等な思いやりで全力を尽くします!

マックリース・ダニエル

マックリース・ダニエル

日英翻訳者